今日はやはりこの事を書かずにはいられません。
ちょうど10年前の1月17日、午前5時46分。
これまで経験したことの無い激しい揺れで、叩き起こされました。
それからの3ヶ月は驚きと恐怖の連続で、細かく思い出すことはできません。。
当時私は中学3年。
あれから10年の歳月が流れた昨年末、
折りしも昨年末、今度は新潟が震災に見舞われましたが、
どこか少し遠い出来事のように感じてしまった自分に、
悲しさ、後ろめたさのようなものを感じてしまいます。
当時、実際に被災者の一人であった自分としては、
無理やり話を聞くために押しかけ、救援物資の一つも持ってこないマスコミ、
観光者気分でやってきて写真を撮りまくる野次馬ども、
挙句には、震災直後からバラエティー番組を放送する東京のテレビ局にすら、
怒りを覚えたものでした。
でも、実際に自分は住んでいる家が全壊したわけでもないし、
身内が亡くなったわけでもない。
そういう意味では、本当の被災者という言い方は出来ないのかもしれません。
10年という年月がそうさせたのかもしれませんが、
人間という生き物がそういう風に出来ているのでしょう。
別にニヒリズムに陥っているわけではありません。
過去を忘れる能力、それは次への成長に不可欠な能力であると思います。
過去を伝える、と言うのは本当に大事なことだと思いますが、
やっぱり実際に自分自信が経験しないと、なかなか実感なんて湧かないでしょう。。
「つい一週間前にバスケをした体育館に、数百の遺体が横たわっていた」、なんて言っても、
実際に目の当たりにした者でないと、本当の共感なんてできないはず。
でもそれでいいんです。
否定するつもりは毛頭ありません。
幸運にも被災しなくて済んだ多くの人々が、
少しでも思いを馳せてくれるきっかけになってくれば。。。
そういう意味では、10年の歳月が流れたいま、
新潟の震災、さらにはスマトラ沖の大津波が発生したのは、
単なる偶然のような気がしないんです。
今回の震災でも多くの自衛隊員、ボランティアが活躍していますが、
彼らには心から敬意を表します。
あの時必死になって助けてくれたことを、決して忘れることはありません。
あの時犠牲になった多くの方々、
貴方達の命は決して無駄にはなっていない、少なくともそう信じさせてあげたい。
新潟の被災者の方々に対し、会社員になった自分にいま出来ることは、
電話でできる100円募金ぐらいでしょうか。
でも思いを馳せる気持ち、そのことは絶対に忘れないようにいたいと思っています。
たまにはこういうのもありかな。
こんなこと、普通にはなかなか話す機会がないですからね。
でもいつもこんな調子だと息が詰まっちゃうから…。
普段はぶらぶらとお気楽に続けていきます。