ぶらりみち。

忘れた頃に更新されているかも!?
twitterアカウント:@kippei_papa




大震災雑感。

今回の震災が発生して、早くも丸二日半が経ちましたが、
まだ心の中で整理ができていない自分がいます。

今回の大惨事の映像を見るにつれ、
1995年の阪神の時の記憶がフラッシュバックし、
辛い気持ちになります。



1995年1月17日。
あの時、我が家は被災者の一員になりました。
幸い家自体は無事でしたが、ライフラインが全て止まりました。

臨時の水組み場に行って生活用水を運んだり、
救援物資の連絡が入ったら貰いに行ったり、
食事はおにぎりとカップラーメンで済ませ、
ガスが使えないのでお風呂に入れず、
カセットコンロで沸かしたお湯で体を拭いたり、

当たり前の事ができない生活、
そんな現実に最初は戸惑ったりもしましたが、
慣れてくるうちに、そんなに苦にならなくなりました。
不便とはいえ、衣食住が確保できていたわけですから。

そんな感じで震災生活を過ごしていたところに、
震災から約2ヵ月後に、学校から登校の指令がありました。

通学経路は、阪神電車で甲子園〜魚崎。
ですが、その頃は手前の青木駅までしか開通していなかったので、
青木まで電車で行き、そこから母校まで30分ほど歩くことに。

当時はよく寄り道して行った道なので、
最初は戸惑いもなく向かったのですが、
その光景に目を疑いました。

震災の被害が大きかった東灘区。
今まであったはずの建物がことごとく姿を変えていました。
あるものは倒れ、あるものは焼き尽くされ。
映画でしか見た事が無いような惨い光景。

そして、家の前に立てられている看板。


「○○は死んだ。残りの家族は○○に避難している。連絡待つ。」

「隣の者です。ここの家の方は全員下敷きになり亡くなりました。
遺体は○○にあります。」

「○○で待つ。生きている事を願う。」


涙が出ました。

横倒しになった阪神高速や、街全体が炎の海になった長田、
そんな映像を見ても、どこか実感がない自分がいたのですが、
初めて、心の底から恐怖を覚えました。

これはとてつもない惨事なのだ、と。



そんな経験があったので、
曲がりなりにも、被災者の気持ちは少しは理解できるはず、
なんて思っていたりしました。

しかし、今回は予想の範疇を超えていました。
阪神大震災とは比べ物にならない、戦後最悪の大惨事。
被災者のやるせない思いは、私では想像すらできません。

目の前で我が家が潰されるだけでも相当の辛さなのに、
津波で我が家や家族が丸々流されるだけでなく、
自分が生きてきた街ごと全て流されてしまう。

。。。



今回の地震では、自宅は目立った被害も無く、
(マンションは少々被害を受けましたが、)
家族も無事で、本当に幸運な方であったと思います。

ですが、余震が続いていたこともあり、
身重の嫁さんと子供に万が一の事があっては大変なので、
この週末は、必要な買出しだけを済ませ、
後は自宅でじっと待機していました。

テレビには、ずっと震災の情報が流れています。
ひっきり無しに流れる衝撃的な映像を見るにつれ、
我々は一体どうすればいいんだ??
という思いに駆られそうになります。


ですが、阪神の時も思ったのですが、
日本中が必要以上に沈む必要はないと思います。

昨日、被災されたSPPの指揮者の方のメールに、
「問題ない人には普段通りに過ごしてもらうことが、一番心強い。」
という言葉がありました。
まさにその通りだと思います。

スポーツとかお笑い番組とか、
被災していない側からは不謹慎だと思えるようなことでも、
被災者にとっては普段当たり前に目にしていたものを見ることで、
案外心が和らぐ力になったりするものです。


書いているうちに、少し落ち着いてきました。

とりあえず明日からは、
節電・募金などできることから実行しながら、
一人でも多くの命が助かることを祈りつつ、
前を向いて生活していこうと思います。
書いた人 みち | - | comments(0) | - |



SUN MON TUE WED THU FRI SAT
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< March 2011 >>